プロとしての息苦しさの事

 昨日友人のコーラスのリサイタルに行った。
子供の頃の合唱団の仲間と2,3年前に再結成したそうで、
だからみんな本業は別にあるバリバリのアマチュアで。
あっ中にはその後プロとか専門教育に進んだセミプロもいるみたいだったけど。

 楽しそうなんで、こちらまで掛値無しで楽しいキブンになった。
歌ってるのも楽しそうだけど、
ここまで来る過程の楽しかった雰囲気も伝わってくる感じ、良かった。

 勿論腕前の方は想像通りだっけどねっ。ご愛嬌。
家族や友達が結構来ていて盛況だった。

 一流、超一流のプロのコンサート、リサイタルにも随分行ったけれど、
聞く側として、
このリサイタルは、楽しさという点では、決して引けを取る事はなかった。



 声さえ出れば楽しめる遊びというのは、
やっぱ人間にはとても大切なもので。
世界中の土地土地に音楽があって、
それは必ずしも裕福な土地ばかりでなく。
 逆に何にも無いから歌ったり、叩いたりして楽しんだりして日々を過ごす。
時には直視出来ない現状をやり過ごす為にも。

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 ここんところサッカーのWカップやってて、
で、特に日本関係者が物凄く縮こまってる感じを受けた。
“プロ”として結果が残せなかった事を凄く無念に感じているように見える。

 でも、選手選考の時点から、
勝つ為の選考じゃなく、
“プロ”として安定したスポンサードを持ってる人とか、
この4年間、間違いのなかった人とかが選考されていた。

 すでに認知された選手が、そのポテンシャル以上の力を
ずっとキープしながら、しかもこの大舞台でポテンシャル以上のモノを発揮するなんて事はほぽ不可能なんじゃないかと思う。

 彼らには純粋に勝つ以外にも、
次に雇ってくれそうなチームへのプロモーションもあるし、もっと先々の職業に対するアピールもある。
今大会のカレらが背負ってるスポンサードに対する、
それ相応の結果出しも見え隠れした。

 サッカーのポジションとしては、オフェンス、ディフェンス色々だけど、
サッカーの“プロ”としての立場は、全員ディフェンス。
選手だけでなく監督もチアマンも。

 そういう人達に意外性のある行動ってなかなか出来ないじゃん。

 サッカーってやっぱ野球とは世界的規模が違う。
日本みたいな管理社会で育った優等生サッカー少年達が、
世界と伍するのは、そう簡単な事ではないのだ。
 言葉だけじゃなくて本当にチャレンジャーじゃないとねっ。

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 サッカーもコーラスと同じで、
道具は殆ど必要としない。

 貧富に関係なく誰でも゛楽しめる遊びの延長が“プロフェッショナル”であれば、
こういう大舞台にも何らかの創造は可能だろうけれど、
カレらはみな“プロ”として正気を失えなかったよね。
 意外性の無い世界に、ドーパミンは出るのか?野性は呼び覚まされるのか?

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 保釈の決まった村上サンも、散々っぱら“プロ”として、“プロ”として、
って唱えていた。
 そして自分の創造性とか、自分が楽しんでる感じを、押し殺していってしまったみたいに思える。勝手に使命感だけで体をガチガチに固めていってしまったみたい。
 
 元々村上さんって、しなやかでデリカシーを感じられる、空気を読める頭の回転の良い人だったようにお見受けしていたけれど。空気が読めすぎたのかもね。

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 結果を出す事だけが、“プロ”としての絶対条件だという考えに囚われていった。
それはサッカー日本代表も同じ。勝ち負けよりやっぱ過程を楽しみにしていたのだ、私たちは。

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 サッカーにしても、経済にしても、勝ち組みなんておだてられて、責任を集中させられた人々が、結局重みに耐えかねて、身動きが取れなくなって、詰まんない人間になっていくって感じ、あるよねっ。
 身の回りでも、職場とかもそう。

 そんなに“プロ”ってご大層なモンでも無いのかも知れないなぁ~、と
最近思う。
 楽しめなきゃねぇ。やっぱ。

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<村上世彰被告>東京拘置所から保釈 検察が準抗告見送る [ 06月26日 17時29分 ] 毎日新聞
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by oooo0 | 2006-06-26 00:00 | 世事
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